「嵐が丘」エミリー・ブロンテ
Whatever our souls are made of, his and mine are the same
魂ってものがなんでできてるものか知らないけど、あの子とあたしは同じ魂を持ってるんだわ(引用)
エミリー・ブロンテの「嵐が丘」 原題「Wuthering Heights」 1847年
ブロンテ姉妹のひとり、シャーロット・ブロンテの「ジェーン・エア」がけっこうおもしろかったので、その妹のエミリーの作品も読んでみようかと。
作品が発表された当時は、シャーロットの「ジェーン・エア」の評判の方が高く、エミリーの「嵐が丘」は不評だったようなのですが、時代が下るにつれ、エミリーの評価は高まっていったようで、有名なところではサマセット・モームが「世界の十大小説」という著作のなかでこの作品をとりあげています。
あらすじ
イングランドの片田舎にある、「嵐が丘」と呼ばれる陰鬱な屋敷を訪れ、一晩泊まることになった青年は、少女の幽霊が窓を叩いて、「中に入れて」と懇願する夢をみて、叫び声をあげてしまいます。少女はキャサリン・リントンと名乗り、荒地で道に迷い、二十年間さすらっていたと言います。
そのことを屋敷の主人、ヒースクリフに告げると、ヒースクリフは激昂し、青年を部屋から追い出すと、窓を開け、キャサリンを愛しい恋人と呼び、招きいれようとするのでした…
私が「嵐が丘」に興味をもった最初のきっかけは、この作品をイメージして作られた、タイトルもまんま「嵐が丘 Wuthering Heights」という、ケイト・ブッシュの曲(アルバム「天使と小悪魔」に収録。ベスト・アルバム「ケイト・ブッシュ・ストーリー」にもニュー・ヴォーカルで収録)。
その曲の繰り返しの部分、キャサリンの霊がヒースクリフに語りかける部分がすごく好きだったんですけど、そのセリフが原作にはでてこないことにちょっとびっくりしました。
死んだキャサリンがヒースクリフを連れて行ってしまうところは、原作でははっきりと書かれていなくて、ヒースクリフの死の状況から、たぶんそうなんだろうなと推測するしかありません。
ジェーン・エアを読んだときも、怪奇小説みたいだなと思ったのですが、この「嵐が丘」は、これは、もう完璧に怪奇小説…なんじゃないのかなあ…。ゴシック・ホラーというやつでは……。そんな気がします。
天国から背を向けているんですよね。それも、自ら望んで。天国なんかより、この地上をさまようほうがいいって、自分で選択している、罪深い恋人同士なんです、キャサリンとヒースクリフは。
だから当然、「善人」なんかであるわけがない。善人は天国へ迎えられてしまいますから…。
そんなわけで正直、キャサリンのこともヒースクリフのことも好きになれなくて、感情移入はできませんでした。ふたりともとことん自分勝手で、ヒースクリフの「復讐」にしたって、逆恨みに近いものがあって、どちらかというとむしろ「復讐」の被害者のほうに同情してしまいましたよ…。
天国から拒否されて、まるでカインのように荒野をさまようなんて、普通だったら「罰」ととらえるところなんですけど、この小説ですと、むしろ大歓迎、それこそ一番の望みって感じなのが、すごいというか、この時代…ヴィクトリア朝でもこういった物語って書けるものだったんだと…。あんまりこの時代の小説って読んだことないですけど、もっとキリスト教的に道徳的なものしか許されない時代かと思ってました。意外とそうでもないのかな。
「嵐が丘」の訳はいろいろ出ていますが、とりあえず、私が読んだのは新潮文庫、田中西二郎:訳。いつか読もうと思ってずいぶん昔に買ったまま、積んでおいたものなんですが、今では古書でないと手に入りにくくなっているようです。
英語の原文はProject Gutenbergで無料で読めます。
→http://www.gutenberg.org/etext/768
あと、最近読んでいたベルガリアード物語で、ヒロインが主人公の少年に文字を教えて仲良くなっていくエピソードがあるんですけど、この「嵐が丘」でも似たようなエピソードがあって…。女の子のほうが男の子のことを、最初は身分が低いと誤解して見下してるあたりとかも似ていて、ベルガリアードの作者が「嵐が丘」を参考にしたかどうかはともかくとしても、現代の小説にも用いられるようなものが、百年以上も昔の小説にすでにみられるっていうのが…すごいなあ…
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書庫:ブロンテ姉妹