ゲド戦記4「帰還」ル・グウィン


あまりの暑さに夏バテしておりまして、もっぱら、とりためたビデオばかり見てすごしておりました。気がついたら一ヶ月以上もたっていました…。おひさしぶりです。
さて、ようやく少しは涼しくなってきましたので、なんとか気力をふりしぼって読んだのが、アーシュラ・K・ル=グウィンゲド戦記の四巻「帰還」。…正直、感想を書くのが難しいです。
ファンの間でも、好き嫌いの別れる作品のようですが、私は純粋に、「こういう作品にチャレンジする作家魂がすばらしい」と思いました。
たとえば、ハリー・ポッター君の最終巻が、「ハリーは最後の戦いで魔法の力をなくし、ただのマグルの少年になりました。もう魔法学校にはいられません。マグルの世界でマグルとして生きていくことになります。おわり」とかだったら、たぶん怒る人が多いだろうと思います。まだ最終巻はでていないから、なんともいえないけれど、作者はたぶん、そんな冒険はしないと思います。たぶん。
「英雄」「大魔法使い」とまで言われた人が、その力をなくすというのは、読者としても、残念な、辛い気持ちになることです。
けれど、ごく普通に考えれば、誰にでも「老い」はやってくる。
…しかし普通、「老いた英雄」は、「老いても英雄」として描かれることが多いですよね。


私は、女性作家だから、という論じ方をするのは、あまり好きではありませんが、それでも、女性作家だから、男性主人公を、ある意味シビアに書けるのかな、と思いました。
「あなたは強い力をもって、男のなかの男になったけれど、それでは力をなくしたら、あなたは男でなくなってしまうのかしら?」と。


正直、この物語、「児童書」ではない、と思います。だから、ここから下は、あまり子供さん向けではない感想を書きます。


私がこの物語を読んで、思い浮かんだのは、与謝野晶子
「やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君」
という歌。
これは、要するに、「いい男が坊主になんかならないでよ、もったいない!」という歌であり、「女体の神秘を知らずして、世の中の不思議を全部知っているような顔をしているあなた、体が熱くなることはないのですか?」
といったような歌かと思います。(この解釈が正しいという保障はありません)
世の中には、「女性のからだを知って初めて一人前の男」という思想があります。その思想を勘違いして、強姦事件を起こす男性、数の多さを誇る男性、といったものが登場します。しかし、「女性と一つになる」というのは、そういうことではありません。
「男女和合」
すなわちそれが、まったき世界のありようでもある、
というようなことが、この物語の主題なのかなあ…と思いました。


そのほか、いろいろ考えたことはあって、たとえばテルーが体半分焼かれたというのは、これはすなわち、男性による女性への暴力といったものは、自分の体の半分を痛めつけているようなものである、といったことの象徴なのかな、ということ。世界の半分は女性でできていて、女性も世界の一部であるのに、それを痛めつけることは、すなわち世界の半分を焦土にするようなものである、と。
また、原書のタイトルである「TEHANU(テハヌー)」は、これは物語に登場する星の名前で、「白鳥の心臓」と呼ばれているらしいのですが、もしかして、この世界の「白鳥座」の中の星がモデルなのかな? ということ。
白鳥座のなかに、アラビア語で「胸」という意味の「シェダル」という星があるんですが…
参考サイトさん→http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B7%E3%82%A7%E3%83%80%E3%83%AB
その星のことかどうかはわからないのですが、もしもそうなら、白鳥座が「北十字星」である、という点に、深い意味があるような気がします。すなわち「十字架」の、そのまんなかの星、ということになります。「テハヌー」は、テルーの「真の名」であり、テルーはある意味、キリスト的な役割を負っているのかしらん? と思いました。


あ、ちなみに、洋書なんですが、1〜4巻が一冊になっている「The Earthsea Quartet」というのがあって、そっちのほうが、個別で買うよりお得です。ゲド戦記、まだ一冊ももっていないけれど、全部読む気力十分! という方は、そっちを買うほうがいいかも。
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邦訳は、ハードカバー、ソフトカバーと出ています。私が持っているのはソフトカバーのほうですが、訳者さんの「あとがき」が無いです…

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