「アイルランド幻想」ピーター・トレメイン


自然も超自然も、一枚の貨幣の表と裏。自然か不自然か、なんという区別は、ありゃあせん。これも在るし、それも在る、ということですわ
But we do be all part of one universe, one world, where nature and supernature are two sides of one coin. There is no "natural" and no"unnatural," only what is and what is, do be.(本文より。訳は文庫より引用)

ピーター・トレメイン著 「アイルランド幻想」を読みました。原書と邦訳、両方読み。


私は、「妖精」というのは、日本でいうところの「あやし」、すなわち怪であり妖である、と、つねづね思っていたはずでした。しかし、それでもどこかで、「妖精」は「ファンタジー」に属し、「ホラー」ではない、と考えていたような気がします。
しかし、今回、この本を読んで、クトゥルー神話アイルランドの古き神を結びつけた短編があったりなんかして、つくづく、妖精譚とは怪異譚であってホラーなのだ、と思ったのでした。考えてみれば、日本においても、妖怪はホラーに分類されますし。
この本は、日本でいうならば、京極夏彦の本みたいなもの、という気がします。(ちょっと違うけど)


ただ、ナショナリズムが強い。「イングランド憎し!」が強調されていて、登場するイングランド人は悪辣卑劣な人物ばかりです。この本を読むと、なぜアイルランド人がイングランド人を憎んでいるのか、その理由がよくわかりますが、イングランドの人が読んだら、気分を害しちゃうんじゃないかな…という気がします。それで、原書のほうの、あとがきを読むと、ほとんどが、1980年代の半ばから90年代のはじめにかけて、アイルランドアメリカで発表されたものなんですね。英国で発表されたのは、「石柱」だけで、これは、イングランド憎し! という内容ではないです。読者層を意識して書いている作者の姿が垣間見える気がします。
たとえば「深きに棲まうもの Daoine Domhain」の初出は、アメリカです。タイトルの「Daoine Domhain」はゲール語で「Deep Ones(深きものども)」を意味する、と文中にでてきます。で、「悪魔の暗礁 Devil Reef」や、Innsmouthという地名も出てきます。インマウス、とこの本では訳されていますが、インスマスとかインスマウスという訳が一般的かな(よく知りませんが)。以上のことから、この短編はクトゥルー神話であり、アメリカのホラーファンを意識して書いたのだろうな、という気がします。
で、著者は、この短編においてアイランドの古い神 Fomoire(この本ではフォーモーリィと訳されていますが、フォモール、フォウォレなどと訳している本もあります)と、クトゥルーが同一のものであるように示唆しています。


全体としては、基本的に上品なホラーで、スプラッタとかグロい表現はでてきませんので、そういうのが苦手な方でも大丈夫だと思います。
個人的に、ちょっと怖かったのは、「冬迎えの祭り」。
はじめてチェンジリング(取替え子)を怖いと思いました。べつに目新しい題材じゃないし、妖精物語の定番なのだけれど、それでも怖いと思ってしまうのは、年齢的に、母親のほうに感情移入してしまうようになったから、かもしれません。自分の子が取り替えられたら…と思うと、怖かったです。…私に子供はいませんが…。
あと、いちばん好きなのは「石柱」。「石」の使い方がうまいと思いました。


使われている題材は、プーカやバン・シー、幻の島に住む美しき女人、サウィンやベルティナの祭、ドルイド、九年に一度の生贄、など、おなじみのものが多いです。でも、おなじみのものなんだけれど、記述が詳しくて、勉強になります。もともと作者は、ケルト学の研究者で、ピータ・ベレスフォード・エリスという本名で学問的な本も出している人。この本も、ある意味、アイルランドケルト的なものに対する「薀蓄」が目玉であり魅力となっています。
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邦訳は、甲斐萬里江:訳で光文社文庫で出ています。
訳註も多く、丁寧な訳だと思います。

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