「Water Tales」アリス・ホフマン

さびれてゆく海辺の町で二人の少女は考えていた。
なぜ、時はうつろい、人もまたうつろうのか。
なぜ、いつまでも昔のままでいられないのだろう?

“in spite of how much they wanted their lives to remain the same”

ずっと変わらないでいたいのに


アリス・ホフマン(Alice Hoffman)の「Water Tales」を読みました。
これは、「Aquamarine」と「Indigo」の二つの話を合本にしたものです。二つの話は、それぞれ一冊の本として別々に出版されています。とはいえ、二つとも、長さは短編くらい。二つあわせても、100ページくらいの本ですので、比較的、短時間で読めちゃえるかと思います。
児童向けに書かれたものだと思いますので、英語も、そんなには難しくありません。ときどき、ひねくれたような、まわりくどい表現がでてきますけれど、言っている意味自体はそんなには難しくなく、わりと「あたりまえ」のことを言っているので、比較的わかりやすいです。初心者向けの本だと思います。
個人的には、「Aquamarine」のほうが、読みやすかったように思います。「Aquamarine」は、「恋におちた人魚」というタイトルで、邦訳がでています(アーティストハウス 野口 百合子:訳)。また、映画にもなっています。
映画オフィシャルサイト→http://www.aquamarinemovie.com/
「Indigo」のほうは、いまのところ未訳のようです。


ふたつの話は共通していて、「海」の話です。また、ふたつとも、「色の名前」がタイトルです。アクアマリンは藍玉という鉱石の名前だけれど、別名sea greenともいって、海の色をあらわす名前でもあります。インディゴも、藍染の藍の色をあらわす名前で、古くはIndy blueと呼ばれました。アクアマリンもインディゴも、どちらも「藍」色であることが共通していますね。(参考「色の名前」主婦の友社 福田邦夫:著)
また、「恋におちた人魚」のほうは、「ずっと変わらない日常でいてほしい、でも変わってゆくのも悪いことばかりじゃない」という話なのに対し、「Indigo」のほうは、「変わらない日常を変えたい、でも変わらない日常というのも悪くない」という話で、テーマとしても、非常に似たものを感じます。どちらも本当は、「変わらないもの」を書いています。それは「友情」であったり、人を愛する気持ちであったり、そういうものです。人と人との「良い関係」が、変わることは、もちろんありますが、この物語に登場する主人公たちの間においては、ずっと変わらずに在りつづけるだろう強固なものです。
「恋におちた人魚」は、嵐によって陸に運ばれた人魚が、人間の男の子に恋をする話ですが、人魚が主人公というわけではなく、それをたすける女の子ふたりが主人公です。そのふたりの友情のほうに重きがおかれています。
「Indigo」のほうは、主人公の女の子と、少し不思議な二人の男の子、三人の友情の物語です。男の子は兄弟で、兄のほうが女の子と特に仲がいいけれど、「恋愛」の域までには発展していません。三人の間をつなぐのは、「ぼくたちはここに属していない」という共通の思い。「ここは ”HOME” ではない」という思いです。


「恋愛」ではなく「友情」、親との死別や親の離婚といった、いわゆる「欠陥家族」(こういう書き方は好きではありませんが)の子供たち。非常に「児童書」のステレオタイプな物語で、「ファンタジー=破天荒な物語」を期待する人には、少し面白味が欠けているように感じるかもしれません。
しかし、この物語、ふたつとも、散りばめられているさまざまなイメージが、とてもきれい。
よく、浜辺で拾った貝殻を、「海からの贈り物」と呼んだりしますが、そんな、「海からの贈り物」のような物語。ありふれているかもしれないけれど、きれいなものは、やっぱりきれいだな、と思いました。


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