「バウンダーズ」について2

昨日につづき、ダイアナ・ウィン・ジョーンズの「バウンダーズ」について。なぜカインが出てこないのか、について。私が思ったことを書いてみたいなと思います。(正しいかどうかはわかりませんが)


まず、この「バウンダーズ」という物語を読んで、あるいは設定からも、まずほとんどの人が思い浮かべるのが、旧約聖書の「カイン」の物語だと思うのです。カインとアベルの物語。これは、キリスト教を知らない人(私のような)でも、知っている人が多い、有名な話ですね。
弟のアベルを殺した罪で、神によって「しるし」をつけられ、「エデンの東」(有名な映画がありますね)に追放されたカイン。


私は最初、この「バウンダーズ」は、「神否定」の物語なのかな、と思いながら読んでいました。主人公やほかの「バウンダーズ」たち、「さまよえるユダヤ人」や「さまよえるオランダ人」にしてみたところでも、神に対して罪をおかしたわけじゃないのに、そういうことにされてしまった、となってますし、神じゃなくて<悪魔>が世界を支配しているし。
でも、最後には神さまが復活して、悪魔を追い払い、バウンダーズたちを長き放浪から解放します。でもそのなかに、たぶんカインはふくまれていない。


カインがほかの「バウンダーズ」たちと違うのは、カインは「罪なくして放浪の罰をうけた」わけではないからです。カインは弟のアベルを殺しました。「人殺し」です。
そして<あいつら>の罪はなんでしょうか。「戦争」です。「人殺し」です。


この物語の最後、主人公は<あいつら>の根城に、「しるし」を刻みます。
その「しるし」は「シェン(Shen)」というもので、残念ながらそれが、どういう印なのか、私にはわかりません(中国のプロテスタントキリスト教の神として使う名だそうですが、関係あるのかわかりません…ってつまり、「神龍(シェンロン)」とかのシェン? 神っていう漢字のこと!? ??)。が、想像するに、どうやら悪魔から身を守るもの、悪魔が「殺せない」印、「神様が守ってくれている」ということを示す印、のようです。(たぶん)
カインが神さまにつけられた印も、カインを殺そうとするものから身を守るしるし、なんですよね。


そういうことから考えると、<あいつら>=<カイン>であり、この「バウンダーズ」という物語は、旧約聖書のカインの物語を、ダイアナさんらしい、ものすごーくひねった形で再話したもの、といえるのかな、と。けっして、<神否定>でも、アンチキリストでもない。
神は復活し、カインは追放されるのですから。


…ただ、この物語、「アダム」っていう子が出てくるんですが。「弟」なんですよね。でも、自分のお姉さんを奴隷に売ろうとするような子なんですね(それも神さまみたいな人コンスタムに)。もちろん、その神さまみたいな人コンスタムは、怒って受け取りませんが。そのことを、どう考えたらいいのか。
ま、アダムであってアベルじゃないですが。
けど、旧約聖書で、アベルは神様に子羊をささげ、カインは野菜をささげ、神様は羊だけもらって、野菜はつっかえしたんです(ちょっと違う)
子羊=奴隷…とも考える…のでは…なんて、ちょっと思ったり…。だって、コンスタムの奴隷であるヨリスは、熱烈にコンスタムのこと崇拝してて…。それって、経験な信者、迷える子羊…
…。
いえ、宗教のことは詳しくありませんから、あんまりいいかげんなことを書くのもよくないですが、でもなんとなく、この「バウンダーズ」という物語、アンチキリストでもないけど、といって、キリスト教ばんざい! っていうわけでもないような…。わかんないですけどね。(あ、でも旧約聖書でも、神様はカインを憎んでるってわけでもないので、そのへんのところと、「バウンダーズ」にでてくる<あの人>が<あいつら>のことを憎んでいないというあたりはリンクしますし、やっぱキリスト教的に正しい物語なのかな…)