「人魚ひめ」リスベート・ツヴェルガー

ifyouaskme2005-01-31

リスベート・ツヴェルガーの「人魚ひめ」
私は、英語の勉強がしたい…ということもあって、英訳本、アメリカ版ハードカバーを買いましたが、
邦訳、小学館さんから出ています。
2004年に出たばかりですから、まだ、充分手に入ると思います。


アンデルセンの「人魚姫」って、私…子供のころ、なんだかアニメか何かでみたのか、絵本を読んだのか、もうあんまり覚えてませんが、一番記憶に残っているシーンが、人魚姫のお姉さん人魚たちが、短剣をさしだして、「これで王子の心臓を刺しなさい」とか言ってるシーンなんですね。で、子供のころの私は、「王子なんか刺しちゃえ刺しちゃえ」とか思ったものです。
で、なんだか納得できなかったのが、「人魚には魂がない」という記述で、私が読んだ絵本だかなんだかは、「あわれに思った神様が、特別に人魚姫にも魂をあたえてあげました。めでたしめでたし」みたいな…なんだかそんな最後だったような気がして、「なんじゃそりゃ」と。「人間以外には魂がない」という考え方と、「人間のような魂がほしい」という考え方が、よく理解できなかったんです。
それが、ちょっとだけわかったのは、「日本人の獣医師の多くが、犬にも魂があって、死後天国に行くと信じているとは驚きだ」みたいなことの書かれた…西洋の方の書いた犬の本を読んで…「ああそうか、キリスト教というのは、人間以外には魂がないって考え方なんだ」と。
私はフツーに、犬だろうが猫だろうが無生物だろうが、どんなものにも魂はある、みたいな考え方をしていたけれども、それって、西洋のキリスト教世界では、まったくフツーじゃない考え方なのね…


で、今回、あらためて人魚姫のお話を、こうして絵本で読んでみたのですが、文章の量が、思っていたよりも多い。
で、大人になったからなのかなあ、足の痛みをこらえて踊る人魚姫の姿が、ハイヒールを履いて、足が痛いのをガマンしている女の人の姿に重なったり、けっきょく、人魚姫にしても王子にしても、「姿の美しさ」だけに惹かれていて、だから、「もっと容姿がすぐれている王女」といったものに出会ったら、王子は簡単に心変わりしてしまう。ひどいなあ…と思うけれども、それが現実だよなあ…とも。
しかし、人魚姫にしてみたって、十代の女の子が、アイドルの追っかけをしているような…そんな感じに思えるのですよ。
だからこそ真剣だし、純粋だし、なにもかも捨てたっていいっていうくらいに恋焦がれる…ていう気持ち、わかるんですよ…。懐かしいなあ。私にも、そーゆう、手の届かない世界の人に真剣に憧れて、本気で恋焦がれていた乙女な時代がありましたよ。女性の方なら、ほとんどの方が、多かれ少なかれ、そーゆう時期があったんじゃないかと。そーゆうときの女の子って、なんかもう、とんでもないですよね。親兄弟なんか、平気で捨てちゃえますよねえ…。


で、やっぱり今回も、「そんな男、殺しちゃえ。ざくっとやっちゃえ」と思ってしまったのですが、しかし、子供のころと違うのは、そうしなかった人魚姫を、素直に、「えらい」と思えたこと。
特に、リスベート・ツヴェルガーの、絵、が、ですね。人魚姫の表情が、なんともいえないんですよね。ものすごい孤独と、悲しみと、そして諦めと。
「王子のことが好きだから殺せない」というのも、あるとは思うのです。
子供のころは、それだけだと思っていました。人魚姫が王子を殺さなかったのは。
でも、それだけではなくて、「やるだけやったのだから、結果はダメだったけれども後悔はしない。相手を恨むのは筋違い」っていう、そーゆう意思が伝わってくるような気がするのです、絵から。
子供のころ読んだ絵本では、なんとなく、人魚姫は「被害者」として描かれていたように思えるのですけれども、この絵本では、「被害者」ではないのですね。「恋に破れた少女」ではあるけれども、被害者とは違うのです。
だから、「かわいそう」というよりも、なんだか、「自分の生きたいように生きた」という、清清しさみたいなものを感じられたというか…


とりあえず、英語は、そんなに難しくはありませんでした。あらすじは知っているので、だいたい読めました。