「バウンダーズ」と女神

さて、もう気がすむまで続けることにしました。なんでこんなに熱くなるのか自分でもわかりませんが、「バウンダーズ」について。


「<あいつら>はそうやって僕の運命を封印した(They sealed my fate by doing that)」
(本文より)


destinyとか、他にも単語はあるのに、「運命」という言葉に「Fate」という単語を使っているのは、重要だと思います。「Fate」とは、運命の三女神のこと。ギリシア神話のクロト、ラケシス、アトロポスのことだからです。
三位一体が「父」である神ではなく、女神だとするならば。
主人公が三角形のなかに入ったとたん、その胎内から世界がつぎつぎに外に出ていったのは、女性の胎内に「愚者」が入ることにより、世界が「Rebirth(生まれ変わり)」していった。つまり、あらためて「国産み」が行われた。そうして新しくなった世界に、愚者は再び赤ん坊となって出ていったことになります。(だから主人公は一番最後まで残った)


<They>は三角形のスペースに世界を集めて、そこに閉じ込め、自分たちも閉じこもった。いわば女性を「母(妊婦)」の状態に固定した。そこには現在(Real)だけしかない。(女性の三つの顔、少女・母・老婆は、過去・現在・未来を表す)。
<They>の頭領は、悪魔の世界の出身だと作中では書かれる。その世界は、女性上位の世界。悪魔は、<He>と呼ばれるが、どうも、パートナーなしに、自分ひとりで子供を産めるようである。いわば聖母マリアであって、子供を産むなら女性なのではと思うのだが、<She>とは呼ばれず、せいぜい<it>と呼ばれる。伴侶なしに子供を産む女性は女性ではなく、男性が自己増殖したにすぎない。
また、「身体じゅうの血を吸い取られた一頭の羊」は、悪魔のしわざだが、このことと、聖書におけるアベルの捧げものが羊であることを考えると…。
そもそも、プロメテウスが逆らったのはゼウスであり、ゼウスはキリスト教でいうなら、ヤハウェであり…。


「バウンダーズ」という物語、「タロットカード」の物語、キリスト教によって、トランプという、ただのゲームのカードにされてしまたタロットが、本来のすがたと意味を奪い返す物語、というふうに読むと、
キリスト教カインとアベルの物語は、実はまったく逆である、ということを書いた物語、になります。


私のなかで多神教があたりまえだったせいで、ギリシアの神もキリスト教の神も同じ「神」だと考えてしまい、神さまが復活して悪魔を追放したのだから、じつにキリスト教な物語だ、と思ってしまいました。
しかし一神教キリスト教においては、プロメテウスは神ではなくて、ルシファーなんですよね…。ルシファーがキリスト教の神を追い払い、世界の支配権を人間に与えた物語、とも読めるのです。(そんな物語を書くの、プルマンさんだけかと思ってたよ…)
しかし、キリスト教的に正しいかどうかなんて、さして重要な問題ではありません。


「ある世界のことを別の世界を基準にして判断することができないのは確かでしょ(I'm sure you can't judge one world by another)」(本文より)
バネッサのこのセリフが、一番重要だったのだと思います。
つまり、「所変われば品変わる」。


世界はたくさんあって、そしてそのすべてがRealであると、作者は説きます。
事実(Fact)は、ひとつ。でも真実(Real)は、ひとつではないということかもしれません。ヘレンの腕が、自由自在にすがたを変えることができ、だがそれは、悪魔の腕でも、神の腕でもなく、ただのgadgetにすぎないとバネッサが言うように。
ひとつの事実が、考え方により、違った真実に形を変える。ゆえに宗教や国や、人の数だけ真実はあるかもしれない。でも、そのうちのどれかひとつだけが、唯一絶対に正しいなんてことはないし、そんなふうに考える必要もない。


だから、この物語も、じつにいろんなふうに読める物語で、なんだかもう、よくもまあ…ウォーゲームにトランプにタロットにキリスト教ギリシア神話金枝篇。まだまだ他にも私の気づかない別の顔が隠されているのかも。さすが月の女神さま。
ダイアナ・ウィン・ジョーンズが、ご自分がDianaであることを、かなり意識して物語を書いているんじゃないか、と思うことが、ときどきありますけど…どうなんだろう…。